club marusan

"自分になおる"ためにできること。

癒しの道

1897898_597402343698505_941857872762823518_n

こんにちは
まるさんです。

先日、こんな話を
名古屋の漢方医である守屋先生にしていただきました。

「まるさんは理論体系というよりも道ですね」

僕もその言葉にはとてもしっくりきて
僕がやってきたことは癒し人としての道を探し
実践して、その中から自分というものを模索してきたように思います。

そんなタイミングで能のお稽古に誘われ行ってみたら

能という芸能は
「内をみつめて自分を癒すことを目的としている」
そんなことを先生が仰っているのを聞いて
個性というのは自分の内側をみつめていく中で
その経験や人柄が染み出してきた部分を言うんだって
思うようになりました。

先生として
術者として
治療家として
そうやって
自分を保とうとすれば
それは自分でない自分も演じています。

それが悪いわけではないのですが
やはりそこには無理が生じます。

だからこそ
自分の内側をよーくみつめて
癒していく必要があるのです。

武道や芸というのは
西洋の芸能とは違って
相手を倒すものや相手に観せるものである前に
戦わなくてよくなるためにするものであり
自分を観る、自分を知る術だと言うことを
武道家の内田樹先生の著書にも書いてあったりして
そういうことをして自らの精神を癒すことが
結果的に神=自然界と通ずる方法になっているのだろうと
思うのです。

そういう神聖な部分は
誰にも侵されることのない
自分という温かい存在で
そういう部分を楽しむことができれば
それだけで力が湧いてくるのだと思います。

「ありのまま」

そういう言葉ですべてが許されたような風潮がありますが
ありのままでいいのではなく
ありのままを見つめながら
ありのままで楽しんでいると
自分の中から沸き起こる情熱や力に気がついてくるんじゃないか?

そう思うのです。

そうはいっても普通の生活では
どうしてもその役を演じざるを得ないこともあるのも事実です。

そういうバランスも大事にしながら
どの自分とも調和していくことが求められます。

和をもって尊しと為す

その言葉ではじまる十七条憲法を読んでみました。

岡野守也氏の聖徳太子「十七条憲法」を読む
この書籍の中で書かれた解説では

現実的な国民の実情を憂いながらも
官僚とはこうありたいという理想と道を
日本初の憲法にしたためています。

この理想的な姿を
僕自身がやれと言われたら
こんな清廉な人にはとてもとてもなれない氣がします。

だからこそ
そういう時間と
自分をみつめる時間

この両方のバランスをとることが必要だから
武や芸を嗜むのだと思います。

僕は武も芸も嗜んできませんでしたが
治療、施術を通じて
自分と向き合う行を毎日やってこれたおかげで
今の自分になってきました。

先生として治療するよりも
自分として接している方がいい影響を与えることができている。

それはもっとも心地よい自分でいられること
それがリラックスした空気、ムードをつくり出せているからではないでしょうか?

何も悟ったり、目覚めたりしたわけではなく
自分に正直に、自分に素直になれてきた。

そういう感覚です。

それをどうやって誰もができるようにするか?
そこが今後の課題だと思います。

和をもって楽しめば癒しの道に通ずる

そういう稽古を仲間を募りながら
取り組んでいきたいと思います。

© 2017 Shouichi Maruyama . All Rights Reserved.