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"自分になおる"ためにできること。

大切なのは衝突がなくなること

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こんにちは
まるさんです。

保江邦夫先生の著書
合気眞髄を読みながら

その真実を見る目
神の視点というものはなんぞや?と問いかけながら
相手の”すべて”をみつめる練習をしてみています。

そこで
生きている目とそうでない目(死んだ目とまでは言いがたい)の違いってなんだろう?と問いかけてみました。

そんな中でひとつ思い浮かぶのは
発達心理学の観点から「ことば」について書かれた
浜田寿美男先生の著書「私」とは何か ことばと身体の出会い
という本の中にある「まなざし」という言葉を思い出しました。

死んだ目にはまなざしがない。
まなざしと聞いてイメージできるのは、目そのものではなくその目がみつめる先までを指している気がします。

そうなるとその人に深く関心を持ちながらも、自分の要求や価値観はどこかに除外してないと表情や言葉に振り回されてしまいます。

僕も施術のときはなるべく単語や言葉だけに捉われずに、音の勢いやなにげなく発する言葉や語調、大きさなどに意識を向けて聞きます。

そうやって聞いていくことで真意が見えてくるし、何かをしたから病気になったとか、怪我をしたとかいう原因追求の考えから抜け出せる気がします。

カラダを治したいというその真意は単に痛いから、辛いからではないと思うからです。

視覚というのもきっとそうやって使うべきであって、しかし目というのは相手を見ることがすなわち睨むことやジロジロと見つめることになる気がしてなかなかフラットな感情で関心を持てない。

相手が自分よりも弱者であるとそれは簡単になるが、腕力が強かったり、立場が上だったり、そういう条件下でもできるかどうか?

そんなことを思いつつ
娘のりっちゃんに
「パパと相撲やろう!」って誘っておいて
「パパのたましいをよ〜く見てごらん?」って言ってみた。
するとこれは見事に倒されてしまう。

りっちゃんの僕への愛情を深く感じられた瞬間です。

そのあとも押さえ込まれ、起き上がることができなかった。

とっても不思議です。

そこで接骨院の先生たちとも練習してみると
やはり目で威圧してしまう。

目で威圧すると、力が抜けるどころか
カラダが硬直してしまい、逆に力んでしまうようです。

組んでみてふと思ったのは
普通に倒そうとすれば、カラダは力む。
でも、踊るようにすると
抵抗する側が倒されたり、痛んだりするんです。

それは保江先生も「舞祈」と言って
舞を踊ることで、愛の力が発揮しやすくなると書いてます。

その言葉に僕は先日からだ占い®のたっきー先生に言われた
「先生の施術は本当に気持ちよさそうで、まるで踊っているようにカラダに触れる」という言葉を思い出しました。

僕は立位でカラダに触れるとき
たしかにダンスをしているかのような接し方をします。

そして、そこには倒そうという感覚はない。

むしろ
その戦う気をなくし、踊るように息を合わせることができるとカラダが調ってくる。

カラダが回るような感覚が出てくると、痛みも消えていたりする。

相手を圧倒しようとすると
その相手は背中を丸めてガードしようとします。
一見、ひれ伏したかのようですが、実は背中を丸める姿勢はファイティングポーズでもあるんです。

いつか倒してやろう
そういう感情が残ります。

相手の力をゆるめたり、弱めたりするのは
相手を倒すためではなく、相手と波長を合わせ調和を果たすため。

神の視点をもっと意識して
まなざしを感じて訓練すれば
相手からこちらに寄ってくるようなことができたりするかもしれません。

見せ方で人を集めていては戦いは終わらない
このことを僕は深く今年の反省点として感じていて
来年に向けては
まなざしに人が集まるようにしたいと思っています。

東京でも、福岡でも、名古屋でも
目の前の人にまなざしを向けてカラダやココロが心地よくしっくりくるように、治スイッチ!に取り組んでいこうと思います。

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12/1 火 名古屋施術会

15:00~ 16:00~ 空いてます。

12/15 火 名古屋施術会

14:00~ 空いてます。

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12/9 水 背骨と姿勢がラクになるお話会

19:30~PAUSEにて

3500円(ドリンク+軽食付き)

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