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"自分になおる"ためにできること。

20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【5】

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こんにちは
まるさんです。

20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【1】
理想の立位の再現

20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【2】
感覚器を内包する脊柱

20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【3】
直すを捨て、ラクをみつける

20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【4】
姿勢はココロの鏡

今回は姿勢はココロの鏡ということを踏まえた上で

施術の中でどのようにココロを解釈し

どのようにココロを扱うべきか?

ということを模索しました。

ココロがもたらすカラダの変化

姿勢からココロを読み解き

思考と感情が感受性で結びつくことで

症状への認識が生じます。

嫌な感情はよくない思考だということを

ココロに教えてくれ

その問題をもっと良い感情を伴いながら解決することを示唆してくれています。

ココロというのは

感覚と感情を伴うイメージが

繰り返され

体感として残ることで

そこに反応してしまいます。

よくない思考をして

よくない感情を味わっているとき

カラダもラクな姿勢にはなりません。

もっとも顕著なのは

呼吸が苦しくなるということです。

ココロとイキ

ココロの反応を変えることは

息を整えるだけでも違います。

息がうまくできなくなると

カラダは不思議なくらい

うまく動けません。

息と姿勢はココロの反応を表現します。

たとえば

息づかいを荒くするだけで

あまりいい感情は芽生えません。

ゆっくり深く呼吸すれば

気持ちは落ち着きやすくなります。

不安になると

早口になったり

声が小さくなります。

嫌な感情、悪い思考でものごとに取り組んでも

なかなかうまく続かない、伝わらないのは

イキが乱れるからです。

イキが乱れると本音にノイズが生じると思うのです。

ココロは感じたことの記憶

呼吸というと酸素と二酸化炭素のガス交換というイメージがあると思いますが

呼吸はリズムやトーンなどがあり、

息を合わせる

なんて言葉もあるくらいですから

ガス交換を通じて

やりとりをすることです。

やりとり

と書きましたが

それは言葉だけでなく

振る舞いや態度を含め

空気を読んだり

波長を合わせたり

そんな

やりとりだからです。

そんな中でココロは反応します。

思考や感情にココロが反応するから

そこを同一視してしまうとココロを理解したようで

まったく違う導きをしてしまうことになります。

山口創先生や三木成夫先生の本などを読んでいると

ココロというものは

体感の伴うものだということがわかります。

それは

明らかに脳ではなく

言語化されない

もっと原始的な感覚です。

それを

皮膚は「心」を持っていたの著者山口創先生

内臓とこころの著者三木成夫先生

これらの先生たちの著書を読むとやはりココロというものは

まず「快」「不快」という原始的な反応に対して

皮膚感覚や内臓感覚に何かしらで応答があるということなのだと思いました。

ココロという見えないけど

感じるものは

言語で思考することで

理性的にカスタマイズされてしまうのです。

感じるままに感じること

それがココロを大切にするために必要なことです。

ココロは見えないものだから

神聖化されやすい

ココロは見えないものだから

そういうことを扱う者が

特別視されやすい

患者さんのココロを大切に扱うのであれば

そこは患者さんの「快」「不快」の反応を観察することだと思うのです。

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「快」「不快」の反応

直すことから

ラクをみつける

そういう観点でカラダや姿勢を診ていく上でも

ココロが感じる「快」「不快」という反応を観察することは非常に興味深いものです。

まずメカニズムとして

最初に反応するのは皮膚です。

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前述の山口創先生の著書の中に幼少期のスキンシップの重要性が書かれています。

愛されているという安心と信頼は

肌が覚えているということ。

肌の残る皮膚接触の感覚が「愛」や「信頼」「自信」を情報として記憶されていく。

人間関係だけでなく、自分に取り巻く様々なことは「距離感」として皮膚が反応します。

「快」の反応には「近く」

「不快」の反応には「遠く」

感じます。

これは皮膚の緊張がもたらすバリアのようなものがはたらくからだと思います。

不快な反応を起こした場合

接触がなくても皮膚の緊張が空気を振動させ

その場にも影響と反応をもたらします。

その場の影響力が大きい人(信念のつよさによる)のココロの状態と

その環境の心地よさが比例するのはこの皮膚の緊張感だとも言われています。

ココロに正直にするということ

皮膚が「快」「不快」を感じると

筋膜を通じ、筋に微細な収縮がおこります。

筋はほどよい緊張が保たれた状態であれば

脳も心地よい状態と認識します。

そのため、筋の収縮は筋力以前に

ココロの「快」「不快」が左右することがわかります。

怪我をしたり

カラダを痛めたりするのは

「快」「不快」の反応を無視した結果かもしれません。

やる気が出る、出ないというのも

「快」「不快」の反応かもしれません。

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自分がどんな思考をしているか?

その思考、その言葉はココロに「快」の反応をもたらしているか?

また、その反応を受け取るカラダというアンテナをいかに調整しておくか?

そこにも僕のできることがあるなという可能性を感じます。

カラダを整え

ココロを解きほぐし

思考と言葉を正すこと

まさに仏道でいう

身口意

これは「業」と言われますが

僕はそんな修行ではなく

カラダをつかいながら

ココロの「快」を探し出し
(「不快」を否定することもなく)

嘘がなくなれば

自分探しや自己啓発などに感化されることなく

ストレスや人間関係に病むことなく

軽やかに生きていけるようになるんじゃないか?

そういう「遊び」があってもいいんじゃないか?

そんな風に考えています。

つづく

次回はココロに触れるとは?

おたのしみに

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