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"自分になおる"ためにできること。

20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【8】

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こんにちは
まるさんです。

20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【1】〜理想的な立位の再現
20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【2】〜感覚器を内包する脊柱
20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【3】〜直すを捨て、ラクをみつける
20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【4】〜姿勢はココロの鏡
20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【5】〜ココロとは原始的な感覚
20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【6】〜カラダとココロのつながり
20万人のカラダが僕に教えてくれたこと【7】〜姿勢とは準備すること

前回、実際にいい姿勢、ラクな姿勢とは何か?ということを書いてみました。

そこから思うことは単純に骨だけを整えても一時的な状態でしかないのです。
(まぁ、一時的にでもラクになればいいのでしょうが…笑)

仙骨を例に書きましたが

この骨ひとつが安定した状態を保つために必要なことは

物理的な調和だけでなく、心理的な安定、呼吸、臓器との連動、考え方に至るまで

そのすべてがひとつの骨に”ゆがみ”となって顕れるのです。

繰り返し起こる問題はひとつの原因ではなく

その人を取り巻くすべての”縁”がそうさせているわけです。

自分を大切にというけれど

それだから、最近の心理的な啓蒙では

「自分を大切に」というような言葉をよく耳にします。

そしてその言葉を聞いた多くの人は

「どうすればいいの?」って答えるのです。

このやりとりをしている時点で

相手に何か答えを求めていて

自分で探そうとしていない

そういう図式になっていませんか?

言葉というのは非常に無責任なものです。

一度口から離れたら、あとは相手がどう捉えるのか?

そこに委ねざるを得ません。

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だから「どうすればいいの?」という前に

胸が締め付けられたり、嫌な気持ちになったり、面倒臭くていらついたり

こんな感覚が大事です。

そういう考え(自分を大切に)がとても自分にフィットせずに

ココロが「不快」になっているだけです。

その不快さは言葉にならなくて当然です。

もしかしたら上から目線で言われていると感じたかもしれませんし

もしかしたら出来ない自分に苦しく感じているかもしれませんし

もしかしたらそれを利己的な考え方と感じたかもしれません。

それは自分にしかわからない感覚であり
また、自分がそう思い込んだ考えでもあります。

それをスルーせずに

感覚と表現を大切にすることができればいいのです。

「自分を大切にする」ということは

その”考え”について

無関心にしないということだと思います。

善悪について

何が正しいか、間違いなのか?

何が良くて、何が悪いのか?

それを選択肢にしているとき

カラダの感受性は左右に振れます。

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もちろん、間違いや過ちをした場合は

改める必要はありますが、

判断するときに正しさを基準にするとカラダの感受性を偏らせます。

善悪というのは表裏一体ですから

合えば善だし

合わなければ悪です。

だからそこに争いが生まれたりもします。

食べものや衣類もそう

カラダにいいか、悪いか?

そこだけで語れるほど世界は狭くありません。

そうなると宗教みたいになってしまいます。

人の感受性は

善悪だけでなく

愛憎、好き嫌い、成功と失敗、名誉と尊厳などがあり

それによって

カラダのバランスは変わります。

だからあまり頭で考えるよりも

それらの考えに関心を持って感じていることを

表現できる自分でいたいものです。

そうしている(本音でいると)と

自分から発する周波数は

ノイズの少ないものになるのではないでしょうか?

施術をする者は

そんな心持ちを大切にしておくと

お互いの関係性にいい距離感が保てるかと思います。

人間関係は得てしてノイズに反応して

ノイズを返してしまうことで乱れます。

そのノイズも

自分のカラダに影響している。

そう氣に留めておくといいですね。

共鳴しあうカラダ

カラダは感受性によって

他者や出来事、モノやカネなどと

共鳴し合って”縁”を結びます。

だから幸せも不幸も

自分次第

そんな風に言うわけです。

一緒にいて居心地が良い

一緒にいてたのしい

それはその人のその感覚と心地よい共鳴をすると

理由なく感じるし

心に深く振動します。

これは感動とは少し違う感覚で

自然とそうなる

不思議な感覚なのです。

コミュニケーションには”共感”が大事だとよく言います。

でも、心から共感していないものを共感することがどれだけ不自然なことでしょうか。

言葉なき言葉に耳を傾ける

患者さんが言っていることは”すべて”ではありません。

真の声を聞くのであれば

共感する前に、共振する部分をみつけることです。

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その感覚は術者自身の中にもある感情です。

だからこそ互いの波長に共鳴するわけです。

患者さんではなく

それは”僕自身”でもあるのです。

そこに湧き出る自分自身を呼吸と骨の動きで共鳴を強めていくと

ちょっとしたシンクロ感覚になります。

そうなると不思議と脳内が鎮まるような感じがします。

術者が鎮まれば

患者さんも鎮まります。

前回書いた熟練の中で大事なのが

集中力と瞬発力と言いましたが

その集中力とはこういう状態になることです。

自分を鎮める

僕は「自分を大切に」

それよりも「自分を鎮める」

そんな言い方をします。

生きていると「不快」なことは毎日起こります。

そのノイズに反応していると

「快」のスイッチは鈍くなる一方です。

鎮めるというのは無理に抑え込むのではなく

ノイズに合わせた周波数のチューニングを

カラダに触れながら修正していくことです。

カラダが動くと脳内は鎮まる

嫌な感覚は思考優位の時にはたらきやすくなります。

何か作業をしているときは

あまり嫌なことを考えることができません。

仕事のストレスも作業している時は、そこまで感じておらず

休日や空き時間、帰宅後になって

その理不尽さや疲労感に苛まれます。

僕も昔、鬱のようになりかけたことがあります。

それは施術だけでなく、会社の運営を任され

どちらかというと

会社の運営のことばかり考えざるを得なくなったときでした。

考えることが仕事になり

作業が手につかなくなる

こういう時が一番危ないのです。

仕事は作業ありきです。

作業効率を上げるために思考すれば

それで十分じゃありませんか?

自分の立場や自分の利益を守ろうと考え始めると

良くない考えになりませんか?

カラダは正直です。

だから、カラダに触れていれば

それだけでも十分、気持ちは鎮まるのです。

セルフケアというのはやり方よりも

触れて感じること

それが一番です。

それこそが自分への関心ではないでしょうか?

つづく

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