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こんにちは

まるさんです。

今日は42歳最後の日なので、一年を振り返りながら書いてみたいと思いました。

この一年は久しぶりに遊び呆けた一年でした。

働く時間もグッと減り、ブラジリアンワックスサロンのお手伝いをしたり、名古屋のプチ起業ママさんをバックアップしたりしながら、細々と施術をしてきました。

そうした中でいろいろ思ったことがあります。

僕は整体屋でありながら、健康だけ、治療だけ、それだけでは窮屈なんだなぁってこと。

だから、施術することでできることの可能性に挑戦したい!そんな取り組みもしてきました。

でも、自分だけでいくらそう吠えてみても施術だけで根本的な解決に至るには、まだまだ果てしないなぁって実感があります。

だとしたら施術することは対処療法のひとつ

そう自覚した上で、幅を広げていけたらいいと思いました。

何でも治る、何でも良くなっちゃう

そう嘯くことこそ、胡散臭いことないですからね。

僕も少し前までは

「僕のところでこんなに良くなったよ〜」

なんて言いたかったし、書きたかったので、そうやってアピールしたりしましたが、本来、體(からだ)の不調を訴える人にとっては、そんな情報は重要ではないような氣もします。

大切なのは専門家としてのひとつの視点をお伝えすることです。

僕の専門は筋骨格系、運動器の痛みや不調です。

病気や不調を訴える方には、筋肉や関節に痛みや不調を伴う方が多く見受けられます。

そんな方々が病気の治療をしながら、筋肉のコリやハリ、関節の痛みがどうにもならずに苦しんでおられることがあります。

でもそんなときに、それを病気だからとか、それも症状のひとつだからとして扱うのはあまりにも雑です。

この一年、カラダをどう診立てるか?そんなことも深く考えました。

その人が生きようとするエネルギーや果たしたい欲求
そういうものを感じて、そんな流れが整っていくようにするには自分自身がどうあると良いのだろうか?

そうしていたら
自分の見ている世界にもう少し寛容になることが大事だな。

そんな風にも思えてきました。

今の時代は食べ物やインテリアまで、「健康」という括りで捉えてしまうと、あれはダメ、これもダメって責めることにもなるし、真実ばかりを追求しても、それを知ることで過敏になるなんてこともあります。

カラダだから合う、合わないはあると思います。そして多くのものは、今ココで摂ったからといってすぐに害になったり、カラダに影響するものばかりじゃありません。

だから必要に応じて、自分に合うものを選んで使うことが大切なのかな?

僕はできればそれを感覚的に捉えることができたらいいなって思うんです。

カラダに害があるかどうかを判定するというのではなく、それを今、摂ることを許容できるように。

そんな自分のカラダを信頼できるようになれば、もっと人や物との関わりの中にあるストレスが小さくなるんじゃないのか?

そんな風にも思えるのです。

この一年、自分が追い求めてきたものは、自分の行動と言動を一致させることでした。

そして自分の言葉を用いて、自分の思いを語れるようになること。

そんな中で、僕は自分の思いを語ることで「信頼」を得たかったんだなってわかったんです。

信頼されるにはどんなことを語ればいいのか?
信頼されるにはどんな人であればいいのか?

そんなことをフワフワと考えながら遊んでいたら
ひとつの答えにたどり着きました。

それは

「自分を信頼しているか?」

僕は僕自身を信頼できているか?っていうこと。

そこがあればもっと自由に、いい情報を集めることができるんじゃないか?

そう思えました。

人と争うことなく
気分良く自分と関わっていく
関心を持って、愛のある眼差しを持って
そのものを見つめることができるようになれたらいいな。

明日から43歳

信頼されるいい仕事がしたい。