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こんにちは

まるさんです。

疲れの中でもなかなか取れない
または
すぐに疲れてしまうのは

目の疲れ

背骨のある生き物はすべて
目の動く方に背骨が動く

という原理原則があるため

目と背骨は関係が深いと思います。

実際、現代の生活の中では目を使うことが多いですね。

PCやスマホなどから情報を得ることが多く

「感じる」ことが鈍くなっています。

目は見るために使うもの

そういう認識ですから、見ることのためだけに使ってしまうのです。

そもそも、目という器官は光を集める器官です。

目という器官ができたことで生命は大きな進化を遂げました。

目ができたからこそ、自分で獲物の位置を確認できるようになった。

そこに向かうことができるようになった。

動物が能動的に動けるようになったのは目の進化が大きいわけです。

そうすると

「見る」という感覚や運動は、物や文字を見るだけではないのかと思うのです。

目的、目標という言葉にも目という字があるように、目には何かを目指すメタファーを含んでいます。

だとしたら「見る」という感覚や運動には、同時に未来やヴィジョンも同時に見ているのかもしれない。

死んだ目には光がない。

光のない目には未来も希望も映らない。

不安や恐れ、自信のなさ、やる氣がない…

そんな氣分になっている人の目にも光は宿りません。

子どもや動物の目

その目は黒目が大きく黒々しています。

生きることに真剣になると目は大きく黒々とするのでしょう。

狭いところ、近いところばかり見ていると、目は小さくなっていきます。

感情が出せないと、目は光を失います。

目が見た情報は直接脳にはたらき世界を認識します。

だから自分が見ている世界というのは、自分が見たい世界にしかならないのです。

不安な目で見れば、不安な世界が映しだされ、心配な目で見れば、心配ばかりの世界が映しだされます。

希望の目は希望を探しますし、愛の目は愛を探す。

ライバルが必要な人にはライバルが映り、助けが欲しい人には助けてくれる人が映ります。

でも、世界が狭くなると見える世界も狭くなる。

ネットの世界だけ、会社だけ、家庭だけ

小さな世界だけしか見なくなれば、背中は丸くなっていきます。

視点が低くなる

なぜ、背骨のある生き物は視点を高いところへと進化させたのか?

視点を高くしたことで地べたを這いつくばる動きが、腹を地面から離し、躍動感のある動きができるようになった。

飛んだり、跳ねたり、掴んだり、投げたり、地面から離れることで遠くへ移動できるようになった。

人間は遠くを見て、世界を目指しました。

今はPCやゲーム、TVと仮想の世界にまで目を広げました。

それはそこに逃げて留まれば、その世界に囚われてしまい、光を奪われます。

でも、その先の世界に想像力を働かせれば、光を感じます。

光が疲れさせるのではないと思います。

想像力のない目が疲れやすくなるのです。

だとしたら

目の疲れは頭を固くします。

こめかみや頭のうしろは
とっても固くなっています。

目の疲れは首にも現れます。

視点が低くなり、頭が下がるから。
#ガマンしてる人の背骨

東洋医学では目は肝臓と関係が深いと言います。

背骨も寝ないと背中が伸びないので、肝臓が休まらない。

膝にも負担を感じたりする。

目が疲れてる

そう感じた時は、広い世界に想いを馳せてみよう。

自分が今悩むことは、小さなことに思えるまで想像してみよう。

悠久の歴史に触れてみよう。

先人たちが見た未来を想像してみよう。

相手に何かを求めたくなったら、相手の目線で見てみよう。

満たされない自分の姿が見えてくるから。

いい世界も、悪い世界も

自分で生みだせるのなら、目というものの可能性はまだまだ未知数です。

毎日を一生懸命生きて、目を見開いていこうと思うんだ。