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"自分になおる"ためにできること。

教わったってわからない…その理由は

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こんにちは

まるさんです。

先日、接骨院の勉強会で、

「背骨は骨より椎間板に意識を向けること」

そんな話をしました。

後日、先生たちにその後、どう感じたのかを聞くと

「椎間板をと言われても見えないし、触れないし…」

「今まで骨だけ考えていても、良くなったって患者さんも言ってるわけだから、それを勉強したところでどんなことができるようになるの?」

こんな答えが返ってきた。

まだ勉強をさせられている

そういう感覚の彼らにいくらその理由を話しても、響くことはありません。

だから黙って聞いていた。

「そうだよね」と。

今までなら、それをわからせようと必死になって説明したと思うんだけど。

こうやって彼らが僕に言うのも、僕への愛情だってわかるようになったから、ちゃんと聞けるようになりました。

彼らもね

本音を言えば、僕の言っていることを理解したいと思っています。

けどね、やっぱりまだ難しいんですよ。

どこに何があるか?

そういうことくらいはわかってるんだけどね。

それがどうやってはたらいているのか?

そういうところまで意識が及ばない。

見えているものと見えないもの

見えないものは教科書の中に描かれた餅みたいなもの

それをイメージするしかない。

でも、これって多くの療術家がそうなんじゃないかな?

うちの先生たちが劣っているわけではなく、実は柔道整復師や鍼灸師みたく資格を持っていたとしても、その多くはこんなざっくりとした感覚で患者さんに触れている。

でもね

逆にこのざっくり感の方がいい施術ができたりするから不思議。

深く色々と知っていくとね

見えないものが見えてきて

逆に複雑に考えてしまうことがある。

そうすると

カラダを複雑にして、迷いが生じてしまうんだよね。

この迷いが施術にとっては良くない。

だから彼らが椎間板のことなんて考えないでもいいんじゃない?

そういう気持ちもよくわかります。

で、僕は彼らに何を教えたいか?というと

正直、椎間板がどうのこうのは理解できたら最高だなって思っていること。

本当の狙いは

自分たちが学んだことをやってみたら

なんだか今までよりもいいかもしれない

そう感じられること。

だからね

まずは体感してもらおうと思って。

僕が「骨」を意識してカラダに触れる

次に

「椎間板」を意識してカラダに触れる

最後に

「水」を意識してカラダに触れる

するとね

僕の意識したものでカラダのバランスや感じ方が違う

同じように触れているのに

そこに「ある」もの

働きかけるものが違うとカラダの応え方が違う

そういう体験をしてもらって

「いつもどおりに僕のカラダを曲げてみて」

次に

「椎間板があると思って僕のカラダを曲げてみて」

その違いを感じてもらう。

そんなことをしていたら

「僕たちは<ない>ことや<できない>ことが前提で考えている氣がします」

そんなことを自分から言ってくれた。

教えてもらったら

<ある>し、<できる>という前提で見ることが大事なのかも?

こう思えたのも

意識するくらいはできる

そう感じられたから。

ざっくりとしたカラダでも、施術はできる

けれど

繊細なカラダを感じ取れると、施術をしながら発見がある

こういう発見が施術をすることの楽しさであり

その楽しさが作業的な施術を、関わりのある施術にしていくのだと思います。

来月の勉強会も一般公開しますので

興味ある方はこちらからお問い合わせくださいね。

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12/6 火曜日 21:00~23:00

サンシャイン通り接骨院内

有料になります。(詳細はメールをいただいた方に送ります)

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