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こんにちは
まるさんです。

昨日は接骨院のスタッフと「熱意」について
夜遅くまで語り合いました。

自分の中から湧き出る熱意

熱意のある人
熱意がない人

この差って
目の前のことに関心があるかどうか?

そこに通じている氣がした。

どんなことにも関心を持ってやってみよう!

挑戦しよう!

そうしている人は自然と熱意のある人になっていくんだと思うな。

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今日は

よくココロが問題でカラダを壊している

そんな風に指摘されることがあるようなので

そういうことの真意について書いてみようかなと思います。

臓器と感情

病氣や痛みでセラピーなどを受けると

教科書サイズでココロとカラダの関係を伝えられることがあります。

陰陽五行論などで言われる五臓、五腑に対して五志を当てはめて推察したり

(※五行色体表参照)

逆に患者さんの話す感情を元に治療ポイントを決めたり

そういうのは間違いではないと思うけど僕は経験を積んでいくうちに、そういうことだけではない氣がしてきた。

感情はエネルギーのひとつ

感情というのは

エネルギーのひとつだと思います。

だからそれぞれの感情に周波数があります。

怒りには怒りの

悲しみには悲しみの周波数があります。

不思議とカラダの部位と感情は慣用句になっていて

それはそのカラダの部位に感情のエネルギーがあるうちは、それほど問題は起こさない。

悲しみは胸が痛いとか、胸が苦しいとか言うし

怒りは腹が立つとか、腸が煮えくり返るとか言う。

胸がワクワク、足がすくむ

そういう言葉の中にカラダと感情の相関関係が隠されています。

だからそういう感情の時

カラダはそこで表現するし

そういうカラダの振る舞いをしていれば

感情はそうなりやすくもなる。

だからカラダを診ていくと

どの部位でどんな感情と共鳴しやすいのかがわかります。

感情には動きがある

感情がエネルギーであるという仮説を立てるのであれば

そこには質や量も存在するでしょう。

今ある出来事に対して

この人がどの感情のボリュームを大きくして

どんな感情のグラデーションで表現しているか?

そういうトーンのようなものを感じ取っていけば

断片的な感情ではなく

感情に動きや流れ、リズムが出てきます。

ですから単純に悲しいという感情ではなく

もう少し立体的に

何かを失った悲しみとか

思いが伝わらない悲しさとか

その感情になる理由や目的が見えてきます。

嫌な氣分になるのは

そういう感情がはたらき

問題が解決しないとき。

イライラしたり
モヤモヤしたりするのであれば

その感情は
自分が採用したくない感情なのだと

僕のメンタルコーチでもある橋本コーチはいいます。

最近、僕はとっても悔しいことがありました。

この悔しいという感情をずっと持ち続けると

とってもイライラします。

これはきっとココロの免疫がはたらいて、そのような考え方を拒絶しているんだなと判断します。

価値をうまく伝えられず、その伝わらなさに悲しさや悔しさがこみ上げてきます。

相手のせいにもしたくなりますが、そうすることで氣分が晴れるような感覚はありません。

相手の感覚、相手の価値観

そういうものを理解しようと関心を向け、そこに精一杯はたらいている自分

そういうイメージになると、ふと穏やかな感覚になります。

これができていれば

僕はこの悔しさに捉われずに済むかもしれません。

自分に治る

こう考えると

感情が病氣を起こすのではなく

感情は病氣という問題に対してどういう考えを採用すればいいかを教えてくれる道標のようなものになります。

問題という壁を乗り越えるのではなく

問題を超えていくような感覚を意識することでしょう。

病氣、お金、人間関係…

そういう解決しにくい問題を

感情という道標に乗せて

自由に

いい氣分で

発想することが大事です。

もし、病氣がなかなか治らないのであれば

それは自分のココロを無視した選択になっている可能性があります。

そういうココロの持ち方をしているから病氣が治らないのではなく

自分の中のベストな感情と感覚で病氣の治療ができていないのだということです。

病氣になって不安だし、惨めだ

それは性格やココロが悪いわけではありません。

不安や惨めな自分

そういう考え方が嫌なだけ。

その考えを自分らしくしながら

適切な治療をすることが大事なのではないかと思うのです。

その考えを明確にするために

スパイナル・チューニングでカラダから浸み出してくる感情を汲み取りながら

本心に近いところでやりとりできるようにしたいです。

問題がどんなに大きくとも

カラダに意識を向けることができれば

病氣の前に

自分に治っていくことでしょう。