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こんにちは

まるさんです。

施術するときに僕が意識していること

それは

問題意識で患者さんを診ないようにすること。

「患者さんに問題がある」

そういう目で見ていると、本当のことが見えてこない。

でも、体を壊すのだから原因はあるんじゃないのか?

そう言われるかもしれないけど、原因は問題でもない。

原因もひとつの診たてであって、そこを切り口に関わるということだから、

「患者さんに何が原因ですか?」

なんて言われたときは、考えられることは伝えます。

姿勢のこと

ココロのこと

環境や人間関係

様々なことが原因にはなるのだけど、原因というのは関わりのミスマッチだということ。

何かと関わるときにうまく関わりが持てていない。

そうすると何かを果たすことができないから、問題となって表現するだけ。

その果たせないことはココロの発育段階とも一致してることが多いので、その経験をしたり、その問題への誤認識を再認識しなおすことが必要になります。

また、そんなときにカラダは緊張したり、休まらない。

交感神経が優位になった状態が続きますね。

すると

どこかでバランスを取ろうと、副交感神経にスイッチが入る。

そこではじめて痛みを感じるんだと思うんです。

なぜなら興奮状態では人は痛みは感じないから。

そんな現象をみて、

痛みは何かのサイン

みたいなことを言うのですが、治療家やセラピストがこの言葉を患者さんに投げかけるなら、もっとココロの発達を理解しないと患者さんがモヤモヤするだけです。

たしかに人は痛みで何かに氣づきます。

気絶した人が目を覚ますのも痛みだし、出産や病氣などのカラダの変調にも痛みを伴います。

だから、痛みにはそういうメタファーがあるとは思うのです。

でも、それだから何かに氣づけっていうのも乱暴な話です。

そして施術する側がその答えをわかっているはずもないのです。

もし、わかっているとしたらそこに誘導した時点でそれは氣づきでも何もないわけですしね。

術者が見たいのはそういう問題探しではなく、答え探しでもありません。

その人がその問題を克服するために、どんな関わりを持つか?ということ。

カラダの不調なんて一発で治らないものがほとんどなんですから、その人の歩みにどうやって関わろうか?

そんな話です。

そしたら、問題のある人

そういう認識で関わったら、いつまでも問題しか見えてきません。

問題なんて、もしかしたらどうでもいいことかもしれないのです。

所詮は小さなこだわりみたいなものなのだから。

もっと大きく、広い目でその人を見たら

「痛い」「辛い」って言う言葉も違って聞こえてくるかもしれませんからね。