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こんにちは

まるさんです。

昨日はとても大好きな方に、誕生日のお祝いをしていただきました。

その氣持ちが嬉しいし、自分のために時間をつくってくれることにもありがたさを感じて、胸が熱くなりました。

毎日の中で何気なくも、温かさを感じられることができてHappyです⭐︎

さて

カラダの問題、ココロの問題を観たときに

「原因は何だろう?」

そう問いかけます。

それでよく混乱に陥ることがありますね。

なぜなら原因はたくさんあるから。

原因って探せばキリがないんです。

例えば腰痛の原因といえば

姿勢の問題、運動不足、過剰な運動、栄養のバランス、気候の変化、不安感、緊張感、人間関係、過去の怪我…

まだまだ出てきます。

これを術者の専門分野から原因と診立てて施術をするわけです。

でも、それだけで治すことができないと、また新しい原因を診立てていきます。

この状況になると

原因=悪いもの

という図式が無意識に上っている状態になっている可能性がありますね。

そこで僕は同時に目的にも目を向けていきます。

原因というのは術者の専門性の診立ての中にあるのではなく、患者の目的に対してブレーキとなる行動や現象だと捉えると、その「原因」というものの診立て自体が変わってきませんか?

目的というのも「何がしたい」とか言う単純なことではなく、その人が欲するものです。

何かをするというのは欲しいものを得るための行動です。

だとしたら、欲するものは何か?ということになります。

人間が欲しいものは、それを果たした時に得られる「感情」です。

この「感情」を抜きに得たことに満足感はありません。

僕はよく、気分転換にUFOキャッチャーをします。

景品だけが欲しければ、グッズショップで購入した方がはるかに安いんです。

それなのに、あえて取れるかどうかもわからないものにお金をかけてしまいます笑

これはやっぱり獲った時の感情が僕の体験したい感情につながっているんだと思うんです。

で、景品を獲ると僕は

「ホラ、俺はできるだろ?」

なんて自分の優位性に浸れるのです…(恥ずかしい)

この感情が目的だとしたら、僕の散財の原因は「お金に対する意識」「お金のブロック」みたいなことではないと思います。

自分ができている、みんなと同じように取り組める、社会の中に自分の存在を感じる

そういう認識に満たされることだと思います。

そこがわかったからこそ、ブログを再開しました笑

あとは僕自身が社会性のある活動を自ら行い、人に貢献し、自分の役割や特性を素直に喜べばいいだけです。

術者は患者のカラダに現れた現象を観ながら、この感情を診立て、その原因というか源泉に触れることが求められます。

カラダという形に出やすいもの、見えやすいものを通じて、ココロに現れる感情や氣分を診立て、微調整を図っていくことで解決に向かう道筋が見えてきます。

僕の場合は背骨から感情を診立てていきます。

僕のカラダの感覚と患者の感情が脊柱の部位と僕の感情でシンクロする状態になるとこれがわかるようになるのです。

なかなか文章では解説しにくいので、これは誰にでもできるようになるかどうかを今、研究しています。

とりあえず、今日伝えたかったことは

原因ばかりを探すのではなく、目的も同時に意識することで、得たい感情を見出し、そのブレーキとなる行動と心理への認識のズレを微調整することが大事なのではないか?

ということです。

だから、自分を責めるような原因探しはあまり有効的ではないのではないか?

僕はそう思うんですよね。