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"自分になおる"ためにできること。

ココロのホームポジション

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こんにちは
まるさんです。

ココロのホームポジションなんて言葉があります。

それはどうやら最近は

わたしらしさ

だったり

自然体でいること

だったり

そんな解釈をされてるようです。

多くの人が

わたしらしく生きたいと願い

自然体で生きたいと望み

自分とな何ものなのか?

そんな問いを投げかけては

アタマを悩ましていたりしています。

僕としては

やることやらないでらしさなんてみつかるわけないし、たくさんのトライ&エラーを繰り返して、不自然な自分が挫かれる経験を通して、凝り固まった概念や、拘りを棄ててこそ、その生き様がらしさになっているんだと思うのです。

そんな自己認識のために、今の時代はさまざまなワークや考え方があり、瞑想やマインドフルネスなどをカジュアルに体験したり、心理や精神を哲学して生き方、あり方の実践法が流行っていたりもします。

しかし、それらのものによってもたらされるものは

スッキリ

した感覚であり

しっくり

した感覚でないことが多い。

ちょうどそれは

マッサージや整体などを受けて感じるような

一時的なスッキリ

これと似ている。

それが悪いというわけではないが

スッキリしただけで
しっくりこないので

またすぐに元どおりになる。

また、同じことで悩み

また、同じようにスッキリを求める

この繰り返しだ。

僕もこの手の取り組みはたくさんしてきた。

ココロとカラダを扱うものとして

ココロとは何か?

ということを深めたかったから。

思考の整理

体感覚

スピリチュアル

ココロの発達

さまざまな取り組みと実生活としての落とし込み

一時的には

成功体験もあり

それが自信にもなることはあるけど

本当にココロが満たされることはなく

ココロは葛藤とともに成長するものだから

そんなもんかとも思っています。

ココロが満たされる、満たされない

という軸で考えるパターン。

これも実はしっくりこない考えのひとつでもあるのだが。

僕としては今年になって

スッキリではなく

しっくりした感覚を得るためにある人の力を借りることにした。

名古屋のソウルコーチ 橋本晃先生だ。

以前はPAUSEでもセッションしていたことがあり、名古屋の未来医療研究会や治スイッチ!などのイベントでも一緒に活動したことのある僕が信頼を寄せる数少ないコーチのひとりです。

そんな橋本コーチのサポートを受けながら、毎月自分のしっくりした感覚に取り組みをしてきました。

しかし、しっくりどころかスッキリすることもない回すらある。

「まるさんはたのしんだ方がいい」

「挑戦しているまるさんをみなさんは期待してますよ」

「今までにない考えをしたらどうですか?」

毎回出される彼からのお題のような解答を実践しながらも、むしろ難題ばかりがやってきて、日常が波瀾万丈になったくらい。

でも、そんな中であっても僕はあまり溺れることなく、泳げていて

よくもわるくも

「なんでこんなに色々と事件があって笑ってられるの?」

なんて言われたりもしていました。

我ながら、図太くも楽観的なタチだなと。

そんな僕の心身はというと

そうは言っても金縛りにあったり

動けないくらい疲れを感じることもあったり

まぁ、ムリはしているなという実感もありました。

そんな中でまた橋本コーチとの取り組みの日が来ました。

いつものように

僕は好き放題話をして

自分の違和感を感じたら

カラダの感覚と向き合う

こんな繰り返し

橋本コーチはただ横にいるだけ。

ある話をしているところから

場の空気感が変わる

本質的な課題に入ったのがわかる。

僕は手前味噌ながら

今まで、要求されたことはある程度高い完成度でこなしてきた。

治療家としても経営者としても

まあまあ実績はある

けれどそれは他人の評価であって

僕の中には強い劣等感しかない。

上には上がいる

だから僕は努力が足りない

そう定義してしまう。

一次元から二次元で発想する

でもまだ苦しい

二次元から三次元に移行する

まだ苦しい

三次元を多次元にしたときに

それはまた別の形になった。

そしてそのまま僕は

その多次元で存在する意識体になり

今という時間軸で存在してみた。

その自在な感覚と同時に起こる

この次元の認識にある不安に襲われたら

橋本コーチの存在を感じるようにした。

その言葉すらない

感覚と思考

空気と光

それだけを頼りに

ただある

これだけを繰り返していたときに

すべての電源が落ちたように

意識がなくなった…

寝たのとはまったく違う感覚で

一瞬にして

暗闇に包まれ

自分が自分でなくなるような

自分が一瞬

この世界から消えたように感じた。

その次の瞬間

パッと目を覚ました。

そこで感じたのは

スッキリではなく

しっくり。

わかった!とか氣づいた!とかではなく

自分の存在がたしかにある

私は今、ここにいた

ただそれだけなのに

脳の普段使っていない場所がはたらいて

観ている世界がさっきまでと違って見える。

橋本コーチ曰く

波打ち際から見渡していた自分が

深海から波打ち際を臨むような違いだと。

深海から引き揚げた僕は

膨大なエネルギーを湛え

すべての存在すら飲み込むくらい飢え、渇き

凶暴でありながらも

平和と調和を願う怪物。

しかし

その万能感に浸ることなく

ただあるだけだと

自らを悟し、律する自分もいる。

カラダで言うなら

骨や筋の位置やゆるみではなく

深部感覚が目覚めたような感覚。

ここに行くには

連れて行ってもらうのでは叶わない。

橋本コーチの存在自体ないものとして

自分がそこへ行くと決意を固めたときに

横で橋本コーチが

「まるさん、行きますか」

そう感じ

深部へと潜って行く僕を水面から

ただただじっと眺めていた

そんな氣がします。

ココロのホームポジションというのは

ただ自分の存在に

意義や意味を持たず

この時間、この次元にいる

自分になんの違和感も疑問も持たずにいる

こんな感覚なんだと思う。

これはとても難易度の高いことでもあり
とてもシンプルなことでもある。

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