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こんにちは

まるさんです。

昨日はかみさんの誕生日だったので、久しぶりにふたりでランチしました。

鉄板焼きに行ったのですが、料理もおもてなしも最高で、感動しっぱなし。

そこには細部というよりは見えない部分にこだわりを持って、しかもそれを「なぜ、そうするのか?」と語ることができるスタッフの人々。

その見えない部分に氣づき、そこを話の肴にできること。

そういう氣と氣のやりとりがとっても心を満たしてくれました。

施術をするときもこういう意識ってとっても大事で、僕のサロンPAUSEではいつもたとえ話として、板前さんが、お客さんの体調や顔色を判断して握る、その人に一番美味しい寿司を握るような施術がしたい。

そんな風に言っています。

一言で疲れているとか腰が痛いと言っても、それは人それぞれ。

そこを察して、本当にして欲しかったのはこれだったんだ!

とわかって、いや、わからないうちにも調ってしまうのが理想かもしれません。

そういう細部への働きは、人だけでなく空間にも働きます。

だから掃除や洗濯などにも小さな心配りが必要になるんでしょうね。

僕が最初に働いた整体院では

「便器を舐めれるまで拭け」とか
雨の日に「雨の滴がなくなるまで窓を拭け」とか

先生から嫌がらせをされました。

でも、それで僕はそうできるまでやろうと真面目に文句ひとつ言わずやっていましたよ。

あのときの僕をみかけたらこう言ってあげたい。

「それが20年後にどれだけ身に沁みるかわかるよ」って。

今の接骨院のスタッフにそんなことをしろって言っても嫌な顔されておしまいです。

丁稚の制度っていうのは、こういう理不尽な要求の中から小さなことに氣づく感性を養ってくれるのでしょう。

いじめや嫌がらせというのは決して許されるものではありません。

ただ、その中で何かを得ようと必死にもがくことができたときには見えないものの力に氣がつけるのかもしれません。

カラダのように形あるものに触れて整えるというのは、カラダに触れながら、意識を調えているんだと思うのです。

その人が無意識であるものや意識しているものの、その感覚を調整していくんではないか?そう思います。

朝起きて首が痛い

そんな時は首を動かせば痛いけど、目を動かして手首を回していたら痛みが消えたりすることがあります。

それは首のズレというよりは首の意識や感覚を調整しているんじゃないでしょうか?

それを骨という形あるものに見える違和感に問題意識を向けることで、それが解消される=痛みが消えるというクライアントと術者の共通認識が「治る」というひとつの表現を見せてくれているんじゃないでしょうか?

もし、そうだとしたら
治療や施術というのは「腕」や「技術」ではなく、コミュニケーション能力だと思うし、教育みたいなものに近いと思います。

今、ふたりが見ている目の前の事柄や問題に対する、感情や感覚を「見えない」意識の調整で「見える」現実に変化を起こしていく。

それをまだまだ模索していきたいと考えてしまいます。

そのためには上質な経験はとても貴重なことで美は細部に宿ると言いますが、美は微でもあると思っていて、そういうものがわかる人、違いのわかる人になることなのかもしれません。