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最近治療家さんの悩みを聞いていて多いのが

からだをもっと上手に捉えるにはどんな練習をしたらいいのですか?

という質問。

普通に解剖学や生理学の本を読んでも
頭に入らないし、それをまた実践レベルに落とし込むにはどうしたらいいのか?
そこで頭を悩ませます。

できないずくしで結局断念。。。

でもまあ、今のままでも患者さん来るし
治る人もいるし
そうやって納得させていってしまう。

なぜ、そうなるのか?
というと大抵は先に治療法を習ってしまうからです。

先に治療法を習わないで
何を習うのか?と言われそうですが
その治療法の哲学を学んだ方がいいです。

何を目的にした治療なのか?
何をもって治るというのか?

施術というのは術者の設定したゴールに向かいます。

だから術者に信念がないと
同じ治療をしても結果は全く違います。

残念ながら治療法だけを学ぶと
施術という行為だけをサービスという形で提供するようになります。

サービスなんで
患者さんもそれなりに満足はします。

対価として妥当であれば通ってもくれます。

それを自分の治療が治している
患者さんが満足しているから正しいことをしている
そう捉えるのはちょっと違うかもしれません。

本来治療というのは
どこに治癒の基準を置くかで
診たても内容も全く違ったものになるわけです。

例えば
その場がラクになる施術と
1年先まで再発しない施術

そこを考えたときに
まったく同じ診たて、内容にならないと思いませんか?

もっとわかりやすく言うなら
お腹を満たすために食べるのと
食事を楽しむために食べるのでは
食べるという行為は同じであっても
選ぶ料理や食材、空間やサービス内容は全く違うものになるでしょう。

治療法を学んでそれなりに結果が出るのは
創始者や師匠が設定した治癒の基準をそのまま鵜呑みにしているからできることなんです。

それは本当に体を診る、患者さんを診るというのとは違います。

ある種のパターンと法則にしたがって
サービスを提供しているだけではないでしょうか?

そう考えると
からだの捉え方と一言で言っても
術者それぞれだということもわかると思います。

師匠のルールに当てはまらなくなったとき
治ってないなと気づくようになります。

だからそれは治せていないのではなく
自分の考えがなかったことに気づいたということでもあるんです。

そこでハッとして
教科書や専門書を開いて勉強しようとしても
わからくて当然です。

なぜなら
自分の診たての基準がないのですから
何を学べばいいのかすらわからないのです。

だからまず先にやらなければならないことは
治療のゴール設定をすることです。

それは患者さんがどんな状態になるか?というよりも
自分がどんな治療家であるか?
そこをしっかりと見据えること。

なりたい治療家像を描くことです。

どんなことがわかる治療家になりたいのか?
どんなアドバイスができる治療家になりたいのか?
どんな関わりをしていきたいのか?

そういうことをしっかり自分に問いかけて
自分の目指す姿を理解することです。

そして
できることから積み重ねていくのですが
まずやってほしいのは
師匠の治療法を完全に否定することを考えてほしいです。

否定というと極端ですが
疑うことです。

簡単すぎるものは複雑化してみること
パターン化されたものは分解すること
事実と理論の差を検証していくこと

月は丸いと思うのは
月の表が丸いからです。
月の裏側から月を見てみてはじめて
月は丸いとわかったように

治療法も裏側から疑ってみて
そこまで理解してみて
はじめて全体像が見えてくるものです。

しかし、その治療法を疑うというのは
組織やグループに所属しているとしにくいものでもあります。

なぜなら
それは創始者による支配構造があり
それが収益構造になっているからです。

僕が治療法を教えず、マインドから教えて塾をやるのはそのためです。

僕の治療法が大切なのではなく
僕の治療法を取り入れないと
診たてができないからです。

だからそこをしっかり考えてもらいます。
何度も何度も問いかけてもらいます。

そこで自分が捉えたいカラダを勉強してもらえばいいと思います。
もちろん普遍的なものもあります。

でも、そういうものは必ず何度も学んでいくうちに出てくるものです。

だからどうやって勉強するか?とかはなく
どういう治療家になるか?

そこを見出してほしいと思うのです。