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こんにちは

まるさんです。

今日の午前中はワンちゃんの施術に横浜まで来ています。

ワンちゃんも同じ脊椎動物だからなんとかなるんじゃない?
そんな感じで引き受けてから毎月、メンテナンスさせていただいてます。

オーナーさんが僕の施術を受けたことがあり、自宅まで往診できる方のみ、ワンちゃんの施術は受け付けています。

さて

思考の癖が行動に出るというのであれば、それをカラダはどうやって表現しているのだろうか?

カラダには「思い」と「感覚」があります。

「思い」はこうでありたい、この方がいい、または、これはいけない、こうじゃないとダメ、そんな感じね。
「感覚」はザワザワ、ムズムズ、熱くなったりヒンヤリしたり、ホッとしたり、しっくりきたり、そんな感じ。

思いは頭で考えているし、感覚は全身で感じています。

「思い」が「行動」になって、いい「感覚」を得ているとカラダはいきいきしてくるけど、これらがうまく働かないとカラダは乱れてしまいます。

僕の場合は、それを脊柱(背骨)から診るのが得意なだけです。

脊柱は頚椎から尾骨まで24の椎骨と仙骨、尾骨が連なってできたカラダの中心にある柱です。

柱と言っても、連なっているのでフレキシブルに動き、直立時は揺れています。

揺れているのでゆがむし、ズレます。

だからゆがみやズレよりも、硬くなったり、弾力性が欠ける方が好ましくない。

「思い」が強くなると頭が重くなるし、「行動」が強くなれば下半身が重くなります。

バランスでいうならば下半身に重さがあった方がいい。

木も山も大地と空も

みんな下はどっしり、上は軽やかだからね。

だからこの思いと行動を感覚がつないでいるの。

感覚は自分の欲するもの(欲求)に忠実だから、「思い」と「行動」が自分の得たいものにつながっていないと機嫌を損ねちゃうんだよね〜。

機嫌を損ねるとカラダはおかしいねって訴えるようになります。
というよりもおかしさを感じ、表現するようになるだけです。

それは症状というよりも、日常の中の関わり(家族や仕事やお金など)そういうものにも現れてくる。

果たせない欲求のエネルギーが結果、カラダの中でもわっとなる。

そんな感じ。

じゃあ、この欲するものに対してカラダはどんな姿で表現するのか?と言ったら「姿勢」かな?

「いい姿勢」っていうのはよくある「気をつけ!」じゃなくて、楽で穏やかで疲れないし、すぐに動けることが大事。

姿勢の癖とかって言うと前重心、後ろ重心とか左右の利き足とか思うかもしれないけど、僕はそこだけではないと思うんです。

どんなところで読み解くか?というとね

脊椎動物は目で動くんです。背骨は目の動く方に動く。

だから視野が大事。

欲求はこの目(視野)に現れています。

その人が何に向いているのか?どこに向かおうとしているのか?
その距離や時間すらも目に現れます。

それがあってこその足元です。

特に踵。

踵のある生き物は地球上に2種類だけ。

そのひとつが人類です。

踵は立つためにある骨。

だから踵を見ると、視野と行動が見えてきます。踵が柔らかければ、歩けるし、動けるけど、踵が不安定なら躓いたり、疲れたりしやすくなります。

踵が硬くなって動かないと、これもまたうまく歩けない。

骨盤は実はとても柔軟な骨だし、視覚情報を下肢へと伝え、下肢からの動力を脊柱へと伝えていきます。

骨盤がゆがんでカラダがおかしいんじゃなくて、思考と感覚のズレが骨盤をゆがめていくんです。

そして脊柱。

感情や感覚を臓器と筋肉につなげて表現する。

これを電気という信号に変えて、神経を介し伝達します。

カラダの癖はこういった情報から読み取っていきます。

だから単純にパターン化して、語るわけではなく、そのものの構造や機能を踏まえた上で説明をつけているんです。

どうしてそこまで知識と情報が必要か?というと、やっぱりこういう捉えようのない情報は人への影響が大きい。

そういうものを扱うにあたっては結果が良ければいいなんてことはなく、主観をいかに排するかということが大事になります。

主観的な解釈ではなく、そのものが示すメタファーをどう読み解くか?というセンスと公平性が必要です。

単なる教科書サイズの情報ではなく、たくさんの実例から得た統計的な情報だからこそ、リアリティを持たせたいと考えました。

こんなことを考えながら、カラダの癖を診立てると、やはり癖自体に善悪はなく、その姿勢が果たしたい欲求なんだよね。

その欲求は「思い」と「感覚」としてカラダを媒体に表現している。

しかし、これがわかったからといって行動できたり、感覚が良くなるわけではないことも知っておきたいですね。

カラダの癖は、欲求と感情がひとつのカタチとなったもの。

だから、直すとか治すという発想ではなく、そのまま受け止めることがまず最初に必要なんだと思うわけです。