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「まるさんのことが信用できなくなりました」

さえみさんが僕に言いました。

事の発端は

彼女が
「お友達を施術するから、立ち会ってほしい」

そう言われて
立ち会ったとき

僕はたしかにイライラしていました。

そのときに僕も彼女に対し、時間や氣遣いのことなどでストレスを感じはじめていたのです。

そうは言っても
なかなか直るものでもないし…

きつく言うことはしませんでした。

立会いと言っても、彼女が施術をするのだからと思い、僕はデスクワークをしながら

「何かあれば呼んで」

くらいの氣持ちでいました。

その僕の振る舞いをお友達に指摘されたということ。

その場では僕に伝えなかったのですが

「チラシをつくりたいから料金を決めましょう」

そう言ってきた日のこと

僕はお客さまのイメージも
サービス内容も

「何もないものに値段はつけられないよ」

そう言ったのですが

辞めることになっている会社の人に知らせたいというのと
友人のデザイナーさんにつくって欲しいというで
強く言ってきました。

僕は辞める会社の人にお世話になったことを伝えるのであれば
チラシなんか渡さずに、ひとりひとりにお手紙を書きなさい。

そう言いました。

開業という目標が迫ったときに
知り合いに来てもらいたい。

そう思うのは当然かもしれませんが、そういう付き合いは長くは続きません。

一時的に来てくださっても、継続して来てくださることはまずない。

だって目的は自分のためではなく、さえみさんのためだから。

だから、僕はそういう人たちには「感謝を伝えること」これで十分だって思うのです。

チラシも友人に頼みたいという氣持ちはわかるんです。

彼女の作った作品をさえみさんは持ってきて

「このエステサロンさんは手配りのチラシでお客さまが増えたみたいです!」

そう言ってきたのですが
その時も僕は

「それはチラシがいいんじゃなくて、そのエステのオーナーさんがどんな風に配ったか?なんだよ」

そう答えました。

そういう彼女のやりたいという氣持ちを僕は汲まずに、ただ正論を言って取り下げてしまった。

何度も食い下がってきたので

「じゃあ、90分¥12,000!」

そうやって僕が価格を決め、これに見合う価値を探せ!
そんなやりとりになりました。

さえみさんはそこに自分のお客さまに対して僕がとったそっけない態度や、今まで取り下げられた悔しさで僕がわからなくなったらしく

「まるさんを信用できなくなりました」

という言葉に集約されたのだと思います。

さえみさんを預かる時に僕は彼女に言いました。

「みんなが僕を思うほど、僕は素晴らしい人間じゃないよ。きっと失望することも多々あるだろう、それでも僕に学ぼうという氣持ちを持ってくれるなら、僕の持っているものはすべて持っていってもいいよ」

そう伝えておいたのですが、彼女の失望は大きかったようでした。

だから言ったんだよ…
俺なんかやっぱり口だけさ…

そんなちっさい男が顔を出してくるんですよ。
こんなときは。

請け負うときは大きな顔して
こうやって失望されれば
ちっさくなる…

情けないなぁなんて思っていたら。

僕のコンサルをお願いしている河田真誠さんに先日こんなことを言われました。

「まるさんはみんなの前で無理してる」

「ちっさくていいじゃないですか!ちっさいからいいんですよ!」

…。

そうですよ…
ちっさいから色々氣になっちゃうし
氣にしちゃいますよ

…。

あ!だったらトコトン氣にしてみたら

さえみさんが僕を信用できないっていうけど
僕は別に彼女を見捨てたわけでもないし、そもそも僕の彼女への関わりはひとりのセラピストを育て上げてみたい!という欲求からはじまったものなんだから、これからどうするか?の方が大事だなって氣になった。

信用されていないなら、されていないなりの育て方がある。
僕は僕の手ですべてを育てあげられるなんてことも思ってないわけだし、それならば彼女に最善な方法は僕の元にいることだけではない。

そんな風に思いました。

僕は彼女に言いました。

「僕がお客さまにそっけない態度をしたなら謝る。悪かったね。でも、さえみさんがやりたいことを取り下げたのは悪いとは思わない。お客さまを自分の周りの人に求めるのは違うと思う。そのもう少し外側にいる人は、さえみさんのことをもっとシビアな目で見てくる。そういう人を相手にしてもらいたい」

そして
さえみさんは僕に甘えすぎている

いや
僕が彼女を甘やかしすぎてる

そう思ったのです。

甘えられる関係性は悪いものじゃない
でも
甘やかしている関係性はよくない

僕の中でそういう答えが出てきます。

だったら
甘えられるところ
自立するところを明確に線引きしないといけない。

「PAUSEは貸さない。自分でお客さまもレンタルサロンも見つけて自分で営業する。それで教えてほしいことがあれば僕にお金を払って学びに来ること」

ここには内容までは書きませんが、この結論に至るまで4時間くらい話しました。

さえみさんは最後に

「まるさんの技術は素晴らしいものがあります。それは本当に一緒にいて得るものがありました」

と言ってくれました。

そのときに僕は

僕は僕が教えたことを完璧に理解することなんて求めていない。

それよりも
僕が教えたことのひとつが患者さんやお客さまのためになってくれたら
それが喜びだ。

だから自分の治療に名前をつけたり、それでセミナーをしたり、そういうことをしたくないし

それぞれがそれぞれのやり方で
自分の目の前の相手を楽にできればいい。

僕はさえみさんとの6ヶ月を通じて
僕という療術家のあり方を改めて確信できました。

だから僕というものはあるようでないのかもしれない。

そんな僕が
「これからは人を育てる仕事をやりなさい」

色々なところでそう言われる。

育てるってどういうことだ?
教えるって何を教えたらいいんだ?

いつも自分の中でモヤモヤする。

ひとつ教えたいことがあるとするならば

この道は長い
そして
僕たちのような仕事は
自分への信頼で成り立っている。

だから
人を疑いたくなったら
自分の中の信頼を探そう。

批判したくなったら
そこに愛があるかを探そう。

今の自分がどう生きたいかに
間違いはない。

もし苦しいなら
冴えない自分を許せるまで
やりきればいい。

キレイになりすぎなくてもいい
汚れすぎなくてもいい

毎日、目の前にある仕事は
困っている誰かがくれたものだ。

そして

叶えたい未来の一部だ。

治療家とかセラピストって仕事は
人の人生をも左右する仕事です。

だからといって
偉いわけでもなく
すごいわけでもない

ただ本当にその人にとって
最良の薬になるとしたら

自分はどんな存在でいたいのかを
よく意識しておきたい。

僕は人に触れるのが好きだ。

人の匂いも
肌の感覚も
手の温もりも

だからその良さを
患者さんにも僕に関わるセラピストさんにも
伝えられたら嬉しい。

おしまい