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"自分になおる"ためにできること。

「治る」というものを捉えなおす

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こんにちは
まるさんです。

10月も後半になりました。
台風や雨で体調も氣分も下がり気味そんな方をみかけます。

そんな方たちやそんな方に関わる方に
やる気ってどうすればいいですか?

なんて聞かれます。

そんなの僕が教えてほしいよって思うのです笑

僕のやる気もこの2年くらいで、自分では今までは絶対にないなという世界を経験する中で
そこにあるイメージを現実として見たことで変化してきました。

病気のこと
食べもののこと
お金のこと
経営のこと

そこにある負のイメージは変わりつつあります。

実際に自分が体験したり
そういう人に会ったり
触れたことで変わっていくイメージ

思い込みやブロックではなく
事実をただ知らなかっただけ

ほしい情報を求めていないから
嘘や偽物に違和感を感じながら
批判的になったり
否定的になったりしていましたね。

それがやらない理由になっていただけ。

そうしていたら問題は問題ではなく
課題くらいのサイズになり
課題はやることくらいのサイズに見えてきました。

やる気がでない
そんなときは
サイズ感が自分に合ってないんだなぁ
情報が足りないんだなぁ

そこがとても大事だったのかもしれません。

色々な世界を見て

もう一度

「治る」ということを捉えなおしてみようかな?

そう思ったので今日のテーマにしたいと思います。

問題の連鎖

カラダが痛い
はたらけない
お金がない
治療できない…

お客さんがいない
しごとができない
お金がない
やりたいことができない…

なんか似てるなぁ

早く
簡単に
無理なく
救ってくれないかなー?

先生、治してください
先生、お客さん増やしてください
先生、たのしく生きれるようにしてください

こんな風に言われて
以前の僕なら
なんとかしてあげなきゃ!

そんな風に思っていました。

問題の共通点

カラダの痛みも
集客も
人生も

ひとつの現象

その現象を起こす「ふるまい」(行動や言動、エネルギー)をさせているのは患者さんでも、部下でもなく「自分」

そこに立ち返るようにしています。

治してあげなきゃ

そう思っていた頃は

治るか治せないか

という世界の中に生きていて

その人の持つ生命力や活力やモチベーション

そういうものを見ていなかった。

それを今度は相手の中に見るようになると

相手の気づかない部分に気づくようになった。

しかし伝えても

その気にならない人を見て

治らないのは患者さんが治ろうとしないから

結果が出ないのは部下のはたらきが悪いせい

そして自分は勉強している
高い情報を持っている
こんなことができる
俺はわかっている

そういう部分によりかかって相手をコントロールする(無意識にね)

先生と呼ばれる職業はこれができてしまうから怖い。

こういう事態にもなっていました。

あなたの周りの人はどうしてそうふるまうのか?

先生、治してー
先生、助けてー
先生、楽しませてー
先生、養ってー笑

そう相手がふるまうならば
そのふるまいは自分がひきだしている。

そうしてもいいよ

と発信しています。

それは相手が甘えているとか
相手が自律しないとかではなく

自分がそうふるまわせているのです。

発達心理学のおおがみちほ先生に心には発達段階がある。

という情報を教えていただいて

僕の概念は少し変わりました。

相手の今の心のステージが見立てられるようになったから。

心には8つの発達のステージがあって

そこを経験しながら成長していく。

この情報を知ったときに

治癒というのは、自分の症状をひとつ上の観点から自分を見れるようになると起こりやすくなる。

平面的に捉えていた自分のカラダが立体的に感じれるようになるのと近い感覚だなと思いました。

だから治るというのは同じ次元の時間軸上にあるのではなく

ひとつ上の次元の時間軸上にシフトすることで解決していくのだと思います。

そのためには心の成長が必要で

ベースとなるのは、基本的信頼感という僕自身がその人の安全基地となることです。

まずは安心をつくる

生育歴の中で傷が多い人ほど

甘え方がわからない

何をしてもいいよという発信は

安心と同時にさまざまな心の叫びを表現しやすくします。

そんな子供みたいな状態で

あれをしろ、これをしろと言ってもできるわけがありませんね。

まずは大丈夫だよ

ということ

ちゃんと観ているということ

いつでもヘルプを出せるということ

そういう環境と関係をつくっていくことが大事です。

心の見立て、心の安心をつくっておくことで、カラダの問題に向き合いやすくなります。

カラダの問題

カラダは主に

運動器
脳と神経
皮膚
消化器
循環器
内分泌

この6つでできていると考えます。

上の3つが動物的臓器
下の3つは植物的臓器

動物的臓器は動物にしかなく、カラダを動かし、感覚を使い、思考する

ここに起こる問題は
植物的臓器の「声」が反映されています。

植物的臓器は消化吸収、流れ巡り、分泌排泄

カラダに必要なものを取り入れ、不要なものを分ける

根源的な欲求と直結し、副交感神経ではたらく

動物的臓器は植物的臓器をはたらかせるためのもの

でも、現代人の多くは

動物的な欲望を満たすために、植物的臓器を多用しています。

すると交感神経がはたらきすぎてしまうのです。

いつも戦闘と緊張

そういう状態にさらされた状態。

ココロのベースが弱いとよりここの感覚が強化されるので

自分に対して周囲が敵に見えやすくなったり

また逆に周囲を倒して自分を強くふるまおうとします。

植物的臓器の声

植物的臓器は調和すること

他者から栄養をもらい、不要なものを排泄し、循環します。

聞こえのいい言い方をすれば

共存共栄のように見えますが

決してそんな都合のいい世界ではなく

自分では動けない分

自分にはないものを欲し

そこから獲得していこうとします。

植物にとっての強弱は力の関係ではなく

適応と順応です。

脳や神経をあまり使わないので

もっと深い感覚でつながることができます。

植物的感覚が鈍ってくると

動物的臓器は間違った解釈で情報を受け取ります。

それが病気や変性を生むのではないかと思うのです。

植物的感覚はつながりがないと生きていけなくなります。

そのためにつながり、分かち合う

そういう繁栄の仕方なのです。

「治す」ことよりも植物的感覚を

治すという言い方は

痛いを痛くないに
病気を元気に

みたいなイメージがあると思います。

でも、自然の中で治っていくというものを見つめていくと

植物的感覚の中にあるココロを見出していくことにあると思います。

それは

自分の栄養になること
自分の不要なもの
光の差す方向
環境に適応、順応すること

力の強さではなく、弱さをも武器にする図太さ。

そのためには土壌となるココロの安全を確保しないとなりません。

病んでいるからこそ果たせる欲求もあり
傷んでいるからこそ果たせる欲求もある

環境に適応するというのは、あくせく働くことでもないし

傷んだカラダを我慢して働くことでもない。

環境に適応するというのは、今の状態に無理することなく、最大の成果をあげることです。

動物的臓器が必要なのは動けたり、感じれたり、思考できた方が、より欲求を満たしやすくなるからです。

だから植物的臓器の器である動物的臓器を整えるのです。

もし、動物的臓器に問題があるのであれば

動くことを止め、その環境での役割や立場を見直すことです。

そして植物的臓器から湧き出る欲求に耳を傾けることです。

そこには恐怖や危機感などはなく

ただただ光の差す方や根が倒れない地面に伸びていくだけです。

必要な光を浴び

しっかりした土壌に根を張りさえすれば

あとは周囲から支えられながら

回復していくのではないでしょうか?

治っていくというのもひとつのふるまい方だとしたら

僕自身が足場となり

光を当てて

相手の心の成長を喜びながら

動物的臓器を整え
植物的臓器をはたらかせるように施術すればいいのです。

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